鉄道模型史と論考メモ

 欧米で生まれ発展してきた鉄道模型について、その歴史は知っていたほうがいいと思う。私は現代史が好きだった。ダイナミックなドラマを演じた庶民や英雄たちの息づかいを感じる距離にいる。振り返れば、まだ自分の生き様の修正や出直しが効きそうに思える。


 鉄道模型と付き合って半世紀を越えたが、世界と日本のファンの間に、これほど大きな隔たりがあるとは思いもよらなかった。生活空間の違い、文化の違いは有っても知れたものだと思っていた。しかし、同好の志の言動を観察しているうちに、明らかな間違いや誤解に基づくケースが多い。それと情緒的評価による個人的な好みのモンダイも根が深い。これは、視覚的調整を具体的に示さねばピント来ないと思われた。そこで、ボクは初めての鉄道模型入門書を廣済堂から1977年に上梓した。これまでに例を見ない切口と視点は、たちまち話題になり版を重ねた。それまでも日本には鉄道模型の入門書やガイドブックなどは存在したが、もっぱら車輌工作入門にウエイトが置かれて、その車輌もシンプルな構造の古典的SLや車体の短い玩具的イメージの車輌工作がサンプルになっていた。「特に好きでもない形式の車輌など、作る気にもならない、というビルダー心理が編集や出版側はまるで判っていない。ボクは決して譲れない条件にジオラマ・レイアウトのスペースの確保を読者に訴え、そこに小判型のエンドレス状に線路を固定、その線路脇に一本の電柱、一本の信号灯、数本の樹木を植えるだけで、どんなに車輌が生き生きして見えるだろうかと紹介した。また、鉄道模型は何時頃、どこで登場し、どこで誰が売り出したか資料を引っ張り出しながら、歴史も簡単に述べることにした。


 欧米では厚表紙のハードカバーの鉄道模型入門書が幾つか刊行されており、どれも最初に数十種類ものスケール・ゲージのリストが紹介されている。ソフトカバーの入門書や分厚い豪華な専門事典のような専門書もある。一口に模型鉄道と言ってもピンからキリまで内容は細分化されているし、線路の種類も多い。機関車も小型の風変わりな特殊車や軽便鉄道、幹線列車などの市販製品についても紹介されている。ボクも折角上梓するガイドブックなので、これまでに無い内容にしたかったのである。

 

 レイアウト工作や情景表現の説明もできるだけ新鮮に見えるような編集に挑戦。売れた。これまでと違って、駅の売店でサラリーマンが買っていくとキオスクの店員。「最近ではちょっと珍しい。サラリーマンのオジサンたちが懐かしいといって買っていくよ」


「Nゲージ」の登場は僕の冊子が発売された頃と重なっていたから、タイミングも悪くなかった。

しかし、アメリカの鉄道模型専門誌の中の写真リポートなどを眺めていると、鉄道模型ファンたちの楽しみ方や遊び方が日本とは随分と違っていると感じた。欧米のファンはドア・サイズやベッド・サイズのフラット・スペースを見つけてそこに情景を作り、小型機関車が数輌の貨車を牽いて出たり入ったりの運転操作を愉しむようだ。欧米の鉄道模型専門誌には毎号、膨大な量の情景写真が使われていた。車輌工作記事の他に車体メンテナンスやクリアできる曲線の紹介など実践的リポートがページを埋めた。そこへいくと日本の専門誌は、「今月の新製品」がもっとも充実していたし、それは今も変わらない。今月発売の車輌模型ばっかりの印象である。ところが欧米の専門誌は読者が製作して撮影したリアルでファンタスティックな情景写真によって、ドラマの展開が紹介される。あるいは、市販車輌の改造記事であり、ドレスアップ工作の楽しさがページの隅々まで詰まっているので、毎月似たようなコンセプトの編集でも見飽きない。よくぞ毎月、読者寄稿のジオラマ・レイアウトがこんなに登場できるものだと感心する。欧米ではクラブの運転会も盛んで、モジュール・レイアウトを使った遊び方などは既に年期が入っている。

 

★山崎喜陽さんのこと

ボクは欧米の『ジオラマ・レイアウト嗜好の方向こそ本来の姿』だと確信するようになった。そこで、廣済堂の編集者に相談して新しい入門書を出すことにしたのである。当時、機芸出版社の山崎喜陽主幹と毎週のようにネオン街を遊び呆けていたので、ボクのゲラ刷りをチェックした頂き、同時に共感を頂戴して勇気百倍の気分だった。


 山崎喜陽さんは昭和の時代、日本鉄道模型界のリード・オフ・マン的存在であった。自身の持つメディア「月刊:鉄道模型趣味」を武器に使うことは出来たと思うが、誤解を招きかねないとお考えだったようで、バーのカウンターではいつも「業者を潰してはならん」「水野さん、それは買いかぶりです。日本のメーカーは弱いんです。それをやるとすぐ潰れる。ボクはもっと強く育てたいと思っています」が半ば口癖だった。しかし、こういう山崎サンの姿を知る模型人は決して多くはあるまい。


 当時から日本の小型鉄道模型が国際規格として認知される意義や、ファイン・スケールモデルを育てる構想を山崎サンと語ったものである。しかし、創造と現実には余りにも隔たりがありすぎるのも人生の常であろう。「お座敷運転」は評価すべきではないという雰囲気が生まれない限り、モジュール・レイアウトさえ育つことは無いと朝まで語り合った。「お座敷運転」がいいか悪いかではなく、知的な大人の創造的趣味として評価の対象にはしないということである。「善し悪し」ではなく「評価の対象にするか、しないかが問われるべきだと伝えた。でなければ話は前に進まず、そのところが日本の模型界の限界になっているのは明らかではないか。日本の専門誌には毎号、読者たちの運転会の写真が掲載されるが、どのクラブも数本のエンドレス・レールが敷いてあり、一度に数本の電車列車や寝台急行が出入りし、グルグル走り回る情景である。どのクラブもまったく同じトラック・プランで何の知恵も工夫も無ければ主張もない。大人のクリエイティブな雰囲気は皆無である。自宅に走らせる場所がないから、こうした会場に車輌を持ち込んで息き抜きを愉しむ訳だが、それが鉄道模型本来の姿なのか。だとすれば、余りにも寂しい。クラブのメンバーたちは、広い会場を貸しきって「これが鉄道模型のファンタスティックな世界なんですよ」と来往者たちに公開して楽しんでもらうのが、本来のあり方ではないか。ただし、こうしたコメントはこれまでの日本のクラブにおいて、極めて不愉快な思いにさせることでもあった。そもそも、車輌工作偏重のファンが中心で、商店街や市街の賑わい作りなど、少しも楽しいと思ったことはない。当人にとって最高に嬉しく楽しいのは、仲間に自作した車輌のデイテール表現を公開することである。ボクはそれを非難したり、ケチをつけるのではない。自作した車輌模型を仲間に披露することが、どうして否定されなければならないのか。もう一度繰返すが、ボクはクラブの運転会は、鉄道模型の総合的な魅力を来場者に公開するプレゼンターであり、エンターティナーであるべきだと自前の見解を述べている。自作車輌の苦労話もその中のヒトコマになるだろう。レイアウトを楽しく見せる方法を工夫してはどうか。


 ボクはNPO法人「日本鉄道模型の会」(Japan Assocition of Model Railroders)がスタートしたときの理事を務めたが、そのコンベンションで最も気を使ったのはレイウトの楽しさ、レイアウトの魅力を公開して来場者を愉しませることにあった。情景がなく、線路だけの参加は受付けない方法に決めた。モジュール・レイアウトさえ持っていないクラブが幾つもあった。ボクからの事前説明で、「参加するクラブは情景付きレイアウト」を絶対条件にした。ジオラマが間に合わない幾つかのクラブにはボクから気の効いた情景作りをアドバイスした。さもなければ、車輌工作実演コーナーに振り替えた。以来、鉄道模型コンベンションやイベントで大きなジオラマ・レイアウトの設置が常識のように定着。

日本でも情景付きレイアウト・ビルダーこそ、鉄道模型ファンの仲間入りである。どうすれば、そのようなファンを育てることができるのか。電化区間にはダミーの架線を張ろう。安くて頑丈な架線と架線柱は専門業者を育てることから始める。国際規格のHOスケール・ゲージの普及で、高価なブラス・モデルと住み分けを図ろう。世界の主要鉄道国に日本型鉄道模型を輸出しよう。日本型のスケール・モデルは日本への観光旅行客誘致にも一役買うことになる。スケール・モデルをできるだけ早期に普及させ、<HO>と<HOn>の表記変更を実現する。模型も実物同様、ダブル・スタンダード・ゲージの実現と普及に移行させ、幹線列車も実物プラ素材の安い組立キットの普及を図る。こうした変化と進化は、鉄道模型の専門誌が共同で戦略を立てれば難しいことではない。

 

 日本の鉄道模型業界が互いに足を引張ることをやめれば、ここに挙げたゴチャゴチャ問題は起きない。日本のこの趣味世界で欠けているのは理念が見えないことである。太平洋戦争が終結し、平和を取り戻すと趣味世界も活気に満ちてきた。鉄道模型もそのひとつである。かつては裕福な家庭の子供たちや大人の道楽でもあった鉄道模型は、1945年になるとイタリアの電気店から売り出されたプラスティック素材の廉価な量産による鉄道模型製品が売り出されて爆発的ヒット商品になる。世界最大の鉄道模型大国であったアメリカに続々輸出され、プラ製のアメリカ型HO製品は安いサラリーマンたちにも手が届く存在になった。一方、日本では金属工芸製品を思わせるような真鍮素材の小型鉄道模型が欧米のコレクターたちの注文を筆頭に、輸出されて大評判になった。環境整備が必要なのだとがボクはいつも注文をつける役割であった。「読者には小学生もいるから色々、気を使わねばならない」「大半の業者は素人の趣味上がりで、鉄道の全てに詳しい訳でもないんです。スケール・ゲージを知らない業者もいますし、外国の模型を観たこともない模型屋のオヤジもいるんです」と言い訳しながら裏話を披露された日々が懐かしい。ボクは山崎さんには言いたい放題であった。「この趣味世界におけるいろんな問題点は、専門誌と業界の責任で解消すべきで、一般の読者や模型ファンの仕事ではない。ヤマさん、あなたが先頭に立たなくて誰がやるのか」と、ボクも随分と食いついたものである。ともかくボクの最初の鉄道模型ガイドブック「鉄道模型入門」(廣済堂)は、この手の書籍としては大ヒットになった。世界で始めての鉄道とその模型から、ゼンマイ駆動方式、電動モーターの駆動を簡単に紹介し、豊富なイラストでジオラマ・レイアウトが如何に車輌模型を引き立てるかを解説した。そのようなポケット本はそれまで無かったのだ。結局、ボクが執筆した入門書は、8万部を完売した。我ながらよく出来たガイド・ブックだと思う。特にボクがこの本に託したメッセージは、鉄道模型とは何かという認識を山崎さんに尋ねたかったのである。そのご返事が届く前に帰らぬ人になられた。本人がいちばん悔しい思いをされているだろう。それでも、ボクの入門書に目を通していただけたのは救いだ。

 

 いろんなタイプの趣味人と出会ったが、同じ趣味人でも受け止め方に随分と差がある。日本と欧米の文化の違いがそのまま、この趣味世界の評価と認識のあり方に見ることができる。日本のファンは、鉄道模型と幼児玩具の違いを指摘できない。鉄道模型が児童玩具から枝分かれして発達し、独立した創造世界にまで成長したという歴史的評価や認識は、日本では個人的情緒のレベルで終わるのが常だ。一方、欧米の鉄道模型ファンが、業者を含めて常にダイナミックな姿勢と環境整備を行った先見性は大きい。歴史認識はそのレベルで論じることができる。

 

 1930年代、アメリカで新しい商品管理の市民運動が芽生え、各企業経営者は新たな生産性運動の重要性に注目。鉄道模型界でも製品の国際基準や規格化が始まった。この意義は余りにも大きい。1934年に「National Model Railroade Asociation」(NMRA 日本では全米鉄道模型協会と称されている)が創設される。業界とファンが運営する非営利事業団体としてアメリカの鉄道模型業界の躍進と発展に大きな影響を与えている。今日、もっともすぐれた鉄道模型製品の方向を示しながら、アメリカ型模型の国際的普及やスケール・ゲージの紹介も熱心である。良質で密度の高い鉄道模型製品が「NMRA」の管理下で共有されていることを知るモデラーが日本にどれだけいるか。

 

 先述のように、第二次世界大戦が終結すると、イタリアからプラスティック素材のスケール・モデルが大量に登場し、世界最大の鉄道模型市場であるアメリカに輸出されると同時に、ヨーロッパでも「国際規格製品」の必要が叫ばれ、アメリカの「NMRA」を手本にした非営利事業団体「ヨーロッパ標準規格NEM/MOROP」(ヨーロッパ鉄道模型連合)が誕生。強力な指導力で、売り上げを大幅に伸ばして行く。しかし、日本にはそのような団体は現在も無い。スケール・ゲージの呼称では大きな問題を抱え、日本型の方向性は、ファンやマニアに任せっぱなしで一見、民主的に見えるが、業界主催の新製品大売出しが開催されるだけで、特別にファの利益を守るような催事が開催される訳ではない。それれに、日本には長い間、正しいスケール・ゲージの呼称を持った模型製品が継続して売り出されたこともないのだ。同時にファン自身もスケールやゲージに対する拘りが希薄なのか、本格的スケール・モデルやレイアウトの普及や発達も未熟なまま今日に至っている。「そんなことはない。昨今の日本型Nゲージの普及はこれまで日本では見られなかった凄まじい勢いである」との声が聞こえてきそうだが、それらの日本型Nゲージ製品の99%は、国際規約や基準とは無関係である。少なくとも日本型Nゲージはローカル鉄道の中で完結した存在であり、国際基準として広く認知されているわけではない。

 

★スケール・ゲージと呼称

クイズを一問。優しいモンダイなので全員正解だと思うが、念のため挑戦してみよう、では出題します。

問;一般に「鉄道模型」と「子供の玩具鉄道」との決定的な違いは何か。.

答;「鉄道模型」には幾つもの国際基準と規格が定められており、各スケールやゲージ、パーツや呼称に至るまで世界中のマニアやファン、業者や団体が共有している。呼称や名称は原則的に英語が共通語である。「子供玩具」には管理されるような国際基準や規格がない。

正解できたかナ。あくまで一般論だが、「鉄道模型」は「子供玩具」から 枝分かれして、趣味世界に発展して今日に至っている。欧米では標準的な鉄道模型を語るとき、スケールと縮尺を外した論議はあり得ない。「TOY TORAIN」や「軽便鉄道とその模型」、「Gゲージ」、英国の主力鉄道模型の「OOゲージ」や、実物のSL同様に蒸気で走る「ライブ・スティーム」などは、それぞれ独立した世界を構成しており、遊び方や楽しさもそれぞれ別のテリトリーである。「鉄道模型」と「玩具鉄道」は同じ土俵で比較したり論じられないのは、内容や質、コンセプトが異なるからだ。「鉄道模型」を語るとき、欧米では幼時玩具が話題の中心になるのは余程の異常事態か例外である。

鉄道模型は車輌や車輪、線路の縮尺やゲージ・サイズなど、全て国際基準や規格に沿って分類され、その呼称や名称も決められているが、玩具にはそうした国際規定・規約がない。そもそも、国際規約などと無縁である。

 

 例を挙げよう。「エイチオウ」といえば世界中、何処に行っても、それは鉄道模型の呼称で、国際標準軌(軌間1435mm)の鉄道車輌を1;87に縮小した模型を差す。一般表示は「HO」ゲージに決っているのだ。実物30センチに対して模型を3,5mmに換算して1;87スケールで製造した模型車輌である。世界共通のルールとして世界中のファンやメーカーもこのルールに従っているが、子供向け玩具はその束縛がない。それだけでなく、日本では、国際規格に沿った日本型の鉄道模型が長い間存在しなった。稀に工作好きなマニアがスクラッチビルトの自作を専門誌に投稿する程度だから、広く知られる模型にはならない。そもそも、こういう趣味世界では、読者であるマニアも自分好みの「車輌製品」が無ければサッサとページを飛ばしてしまう。記憶に残るのは編集者の割付が巧く、読者がつい、目を止める場合だが、滅多にそうはいかないのである。「マニアが選ぶ自分好みの模型鉄道」と言っても、マニア個人の方向性がどれほど「正しい情報」に基づいているかは別次元の情緒評価。

 

 日本の鉄道模型は欧米と異なり、「模型が最初に存在して実物鉄道の登場はその後からスタートした。実物を制作する重要な手本として模型が登場。理屈から言えば、こういう模型の存在こそ「正統な模型の有り方を示している」とも言える。実物車輌の成れの果てが模型製品になるという見方と、車輌デザイナーの立場になって新たに創造的デザインの車輌を作りだすのも現実である。しかし、それは空想や想像の産物であって、鉄道模型の世界では「フリーランス」のカテゴリーになる。その美的センスは「フリーランス」のカテゴリーで評価される。

ずっと長い間、日本で繰り返し問題になってきたのは、国際基準や規格を間違えたまま放置してきた点に尽きる。国際的ルールを歪曲し、模型のスケールを忠実に引き継ぐモラルにドロを塗り続けてきた。しかも、確信犯的に実行され、凡そ反省とは無縁のまま今日に至っている横着が恥ずかしい。

 

 参考までに、簡単に説明すると「鉄道模型でHO」と表記できるのは、実物30cmを3,5mmに換算してレール軌間を16.5mmに設定した模型車輌を言う。これは世界共通のルールであり、約束になっている。英国で最も盛んな「OOゲージ」(ダブル・オウ・ゲージ)は、レール軌間が16.5mmで車体は1;76スケール。実物は国際標準の1435mmのレールだが、車体は天井も低い小柄な構造なので、縮尺をやや

大きくしてHO製品とのバランスを考慮したと言われる。模型では[HO]と同じ線路が使える。モーターやネジ、カプラーなど小物パーツも流用できるのでHOゲージ・ファンも取り込める。しかし、日本型のファンが注目すべきは、「ダブル・オウ」の呼称を付けた英国人の拘りである。「OOゲージ」は「HOゲージ」ではない。

 

 ニュージーランド国鉄のレール軌間は日本の在来線と同じ1067mm。国際的には狭軌鉄道に属する。そこで、鉄道模型では日本同様に軌間16,5mmの線路を採用し、実物鉄道のイメージを損なわないために車体スケールは1;64の国際基準。1942年にクリーブランドの模型メーカーが発表・開発し、翌年「全米鉄道模型協会」が正式名の「Sスケール」を採用。国際表示は「NZR Sscale」だ。ニュージーランドの鉄道模型ファン達のこの趣味世界に賭ける愛情が滲んでくる。ニュージーランドの鉄道は日本の在来線と同じ1067mmの軌間だが、以下のタイプの模型があり、それぞれに呼称がついている。

NZ120 (1;120) ニュージーランドのナロー・ゲージで、TTスケールと同じ・3,5 feet(1067mm)のTTn3.5mやTT9mmのグループ

   HON3.5(1;87) 16,5mm

   HO/OO (1;87) 16.5mm

   NZR S(1;64) 16.5mm

   NZR O―scale(1;34) 32mm

 

 日本では欧米向け輸出モデルの主力であったHOゲージ製品も扱っていたので、日常的にその手の模型を「エッチオー」と称していつの間にか定着し、広がっていったように思われる。しかし、どんなスケールの模型車輌であっても、その呼称が間違っていると判ったら、訂正・修正するのが当たりまえである。乗工社という小さな鉄道模型店が、日本型のHOスケール・ゲージの売り出しに関心を抱いている様子が漏れ始めていた。同時に実物鉄道は東海道新幹線の完成と延伸工事が始まり、大阪万博以来、大勢の人たちの旅行や移動が盛んになった。私鉄や民鉄の車輌の入れ替えも盛んになると、建設が拡大し、一般的な標準軌間は国際標準軌と国際狭軌のダブル・スタンダードで全国へ広がっていった。旧国鉄は全国ネットの狭軌鉄道として、一方、大都市圏の私鉄では国際標準軌が採用された。その他、全国の幾つかの路線で独自の鉄道軌道が導入された。ゲージが異なるのは簡単に「乗っ取り」ができない作戦でもあった。こういう発想はスペインやロシアの鉄道でも見ることができる。国境駅で、相手国の軌道に会わせた台車や連結器に交換しなければならない。スペインでは台車を交換せず、車輌をゆっくり走らせながら車輪を自動的に左右に広げたり車軸での間隔を狭める方法もあるが、私が初めて見たのは当時のソ連とポーランドの国境駅での様子であった。車輌を1両づつ持ち上げて軌間の広いロシア国鉄に合わせた広軌台車を、ヨーロッパ標準軌用に交換する作業である。写真撮影は禁止。乗客は荷物を車内にそのまま、全員降りてプラットホームのキオスクでアイスクリームを買ったりしながら再出発を待つ。同時に手持ちのロシア紙幣は全て日本で円に戻すための書類手続きも行った。

 

 模型では少し前からロシア=旧ソ連のプラ製国鉄客車が入荷しているが、広軌鉄道用レール商品かどうかは不明。少なくともボクの手元にあるロシア製プラ素材のDL 3輌編成は「HO」仕様である。

 

 日本型のスケール表示では、マニア間の論争が起きては消えるをずっと繰返してきた。最近は2000年に盛り上がりそうなマグマの動きがあったが、やはり萎んでしまった。けれども、これまでよりも手応えがあったのは、メーカーに自覚が芽生えたことだ。幾つかのメーカーが日本型1;80スケールで16.5ミリ・ゲージの製品に「HO」製品の表記をやめたこと。これだけでも進歩である。専門誌「RM MODELS」では、そういう日本型模型を古くからの伝統呼称「16番」に変更したのも時代を感じる。

 

 戦後日本の鉄道模型界の近代化を描くリード・オフ・マン、機芸出版社の山崎喜陽主幹は1960年代に、日本型のスケール&ゲージ論争を仕掛けたが、アマチュアの趣味人と思考回路が合わず、投げ出してしまった。当時、日本で唯一の専門誌「鉄道模型趣味」で読者との前哨戦の報告が掲載されているが、双方の認識の格差が極端に開いている。特に読者側の認識の浅さと問題点がまるで判っておらず、漫才もどきになる有様。山崎主幹のアンケートに応えた読者たちは、誰も古参のモデラーではあったが、欧米に始まる鉄道模型の歴史や知識にも無頓着で、山崎氏は適当にからかわれて疲れ果てた印象であった。確かに模型史や知識、教養などは無くても模型は走る。丁度、ボクが山崎氏を夜の銀座ネオン街での「クラブ活動」に誘い始めた頃である。「日本のマニアはマジメに考えていない」とボクたちは互いにぼやいた。「どうでもいいとしか評価できない連中を相手にするのは疲れるだけ。戦略を練り直そう」

 

 日本で国際的に呼称と説明がつく製品はModels Imon (モデルス・イモン)ブランドの「HO 1067シリーズ」製品くらいだ。貨客車などトレーラーはプラ素材製品もあるが、機関車や電車などは日本でもっとも普及している「Nゲージ」の10倍以上もする価格である。組立バラ・キット製品も用意されているが、それでも手が届く人は決して多くはない真鍮素材だ。

 

 以前から日本でも「HOゲージ」の呼称で呼ばれた製品はあったし、それも、日本では鉄道模型の主流を占めていた。しかし、それは「HOゲージの線路を走る」というだけで日本の業者が広げてしまった呼び方にすぎない。

 

 日本の全国ネットの幹線鉄道は国際的には狭軌(1067ミリ・ゲージ)が主力で、関西地方を中心の標準軌を走っている車輌もすべて1;80スケール&ゲージの大きさでバランスをとり、独自の市場を確立した。しかし、旧国鉄系を中心とした狭軌鉄道と国際標準軌を採用した私鉄と併走する区間のワクワク感は模型の世界で楽しむことができない。

 

「鉄道模型レイアウト超テクニック」(学研・2014刊)に,日本型ローカル線をモチーフにした「HO 1067」のレイアウトが紹介されている。このスケール・ゲージの本格的レイアウトがマスコミに登場したのはこれが初めてではないか。車輌の全ては「モデルズ・井門」製品に思われるが、車輌だけでも高価なのだ。遂にレイアウトが登場かと興奮した。

 

実物車輌が日本と同じ1067ミリ・ゲージを走るニュージーランドの鉄道模型もHOのレールを使うが車輌は1;64スケールと大きい「Sスケール」の世界でバランスをとっている。国際表記は「NZR S scale 16.4」。日本の奇妙なスケール・ゲージ騒ぎが気掛かりだったらしい私の古い友人が、わざわざニュージーランドの鉄道模型クラブにインターネットで問い合わせたのを教えてくれた。                     鉄道模型は「実物に忠実であること」を貫いたのはこの世界の元祖であり、家元でもある英国の伝説のふたり、ヘンリー・グリーンリーとウエンマン・バセットロークである。彼らの意志を継ぐ一人になりたいと思う。しかし、フリーランスも好きだし、レイアウト撮影も好きだ。「HO」ゲージ製品は「Nゲージ」よりも機種・車種が多い。ディテールも豊富で造形性も魅力的である。

 

  • 鉄道もタップリ楽しいアクション・サスペンス映画 & 欧米の鉄道関連蔵書リスト

 欧米でも鉄道模型の総合入門書はしばしば出版されている。どれも共通しているのは最初にスケール&ゲージの紹介があること。広く普及している大型の車輌模型から大人の指ほどに小さなスケール・ゲージまでいかに多趣多様な商品が存在するかの紹介であると同時に「鉄道模型は児童玩具ではない」事を示している。ついで、トラックプランのサンプルとジオラマ製作及びレイアウト・デザインが詳しく紹介される。日本では「御座敷運転と称するフロアー運転は欧米では評価の対象にならず、マナー評価の次元なので、基本レールはパネルかレイウト・スペースに合わせた台の上に固定するまで車輌の走行は「待て!お預け!」だ。

 

 日本では車輌工作も楽しみのひとつ。最近は種類が減ってしまったが、レイアウト作りはスペースもまま成らない工作ファンには魅了的な世界である。キットのメニューも多彩で、詳しい設計図と膨大な量のパーツがそれぞれ袋分けに入れてある。根気勝負の世界だが、途中で塗装作業が入ったりすると、完成まで一ヶ月以上もかかる製品もある。中には500点や1000点も越えるパーツで組上げる大物キットもある。機関車の動輪も、スポークやリム、タイヤなども別パーツになっている例もある。鉄道車輌などは、ウエイトを兼ねたダイキャスト素材にプラスティック素材のパーツも混ぜた作品もあれば真鍮素材の半田付キットもあり、価格もピンキリ。組立キットは、しかし、丁寧に扱えば確実に組み上がる製品も珍しくなかった。1970年代にはカツミ模型の日本型SL(1;80/16.5mm)の組立キットが印象に残っている。「ドライヴァー1本で組み上がる」がキャッチコピーであった。それぞれの大きな部分は組みあがっており、モデラーは小さなドライバーを使って同梱されたネジを回して固定するだけ。モーター付きだから、同梱のパーツを全て取り付ければ走り出す。ブラスモデルが完成だ。この製品が登場したころ、ブランド・メーカーの完成品が急激に値上がりし、手が届かないファンが増えてきたので、メーカーの職人の手間賃を際引いた程度に価格を抑えた価格で売り出された。この組立てキットを更にドレスアップして細かなディテールを加えるマニアが登場。煙室扉を開閉式に改造するマニアには堪らなく楽しい製品ではあった。

 

 日本では欧米のプラ製品のような怒涛の開放感で世界中を埋め尽くすといった雰囲気は生まれなかった。日本には他の国同様だが、外国型鉄道のマニアも存在し、その専門店が全国にある。アメリカ型のファンクラブやドイツ型、スイスや英国型やフレンチ・ファンが存在する。しかし、日本型鉄道模型クラブは英国に本部をおく例が知られている程度だ。

 

 天賞堂製「HO」ゲージのBIG BOYは世界のコレクターズ・アイテムとして最も有名であるという噂を流したのはどこの誰だろうと考えることが時々ある。ボクは初代生産のを2台買った。ギアノイズが余りにもヒドイので、2代目を買ってトコトン、乱暴に動輪を回転させながら、馴染ませようと考えたのだ。やっぱり効果は無いに等しく、4代目の少しだけ改造したのを買った。やっぱり、ウルサイ。天賞堂ブランドの「SP AC―12型 Cab Forward」を買ったがこれも煩かった。大体、天賞堂のアメリカ型マレー・タイプの巨人機はいつまで経ってもギアノイズは解消されず、ある日、全てを処分した。当時、BIG BOY やCAB FORWARDは50万円を越えていたと思う。しかし、Rivarossi のプラ製HOは3万円程度で、静かによく走った。ボクはウエザリングを施す目的でBIG BOYを4輌入手してご機嫌だった。天賞堂最後のBIG BOYだという触れ込みのを銀座店で見た。静かで超スロー発進であったが、ボクのアタマにはオーバースケールという噂が刷りこまれていたうえ価格が50万円という噂だった。「パス!」。

 

 暫く我が鉄道にはBIG BOYのスペースが空白になっていた。ある年の暮れ、ドイツのTORIXがHOでDCC対応のBIG BOYを新発売との情報。ダイキャスト素材で価格が4万円前後だという。こうなるとRivarossiとの比較だ。特価期限付きだと業者が煽る。買った。

TRIX  HO のBIG BOYもファイン・スケールでヨーロッパ鉄道模型連合規格と全米鉄道模型協会の規格・基準をクリアしている。DCCサウンドはこのクラスの常識になってしまった。他社ブランドの量産品価格も似たようなもの。2014年現在は300ドル前後の通販価格である。

日本のNゲージより安いアメリカのHO製品が珍しくなくなった。世界の主要国に「日本鉄道模型ファンクラブ」が増える日はくるのだろうか。そこまで時代や状況を推察するマニアはどれだけいるのか。現在は[HOゲージ]でもないのにエイチオウという呼称の定着を進める能天気騒ぎを繰返しているだけである。

 欧米では国際規格が相互で検討され、幾つものゲージパーツなどが標準規格に沿って整理されてきた。その結果、スケール・モデルの普及に大きな役割と影響を与えて今日に至っているのだ。日本から輸出されたコレクターズ・アイテムの高級ブラスモデルは、いずれも標準規格製品に認定された製品である。しかし、残念なことに日本では強いリーダーシップを発揮するクラブや団体の創設はなく、その動きに日本の業界はどのような反応を示すのか、見当もつかない。日本型鉄道模型のスケール・ゲージ論やその呼称問題も相変わらず浮かんでは消える。日本の鉄道模型界は今日も居眠りの真っ最中なのか。

 

 玩具鉄道とスケール・モデルの住み分けや高いレベルで語られる日が来ることを楽しみに待ちたい。