水野良太郎の略歴・仕事歴 (ミズノ・リョウタロウ/MIZUNO,Ryotaro)     2014年8月現在

 

     1936年  (昭和11年)三重県四日市生まれ。本籍地東京都/1945年戦災で鈴鹿市に疎開。中学3年の春、父の転勤で浜松市へ転居。

 1953年 「アサヒグラフ」の投稿マンガ欄に4コマのナンセンスマンガ入選。始めて賞金を手にする。

1955年  静岡県立浜松西高等学校卒(第7回生)・武蔵野美術学校(現同大学)デザイン科入学・東京日仏学院在籍。

1957年  新宿・落書き喫茶店「プペ」でクラスメートの多田ヒロシ(後に絵本作家)と漫画展/グラフィック・デザイナーの登竜門と言われた日宣美展にポスター入選/朝日新聞ジュニア版に「アングリ君」連載開始/日本生産性新聞コラム欄のイラストを担当。

1958年 「文春漫画読本」「漫画読売」「週刊漫画」にプロ漫画家としてデビュー。

1959年  [BEST CARTOONS FROM ABROAD 1958](LawrenceLariar&BenRoth CROWN PUBLISHRS,INC.NY)に「漫画読売」掲載の作品が収録される。

1960年  六本木の梅花亭ギャラリーで初の「ペン画展」(個展)を開催。文春漫画読本にペン画を毎号発表する糸口になる。

1961年~1971年  NHK-TV番組「たのしいフランス語」のスキップイラストを10年間担当。

1962 年  イタリア・ボルディゲラ国際漫画サロン(Salone Internazionale dell’Umorismo Bordighera(ITALY)でネオ・テクニカ賞受賞/アメリカ・シカゴSFコンベンションのアート部門で銀賞受賞/NHK-TV「カメラ・リポート」のリポーターとして1980年代までイレギュラー出演。日本テレビのバラエティー番組「11P.M」のコメンテーターとしてイレギュラー出演。

1964年  わが国初のフランス語聴視覚教育テキスト『楽しいフランス語絵本』のイラスト担当。フランス人と共著で第三書房より刊行。1967年代まで主要大学採用/広告代理店「博報堂」制作局に1月~7月まで嘱託。ロッテ製菓のTV-CMなどに関わる/ソ連、ポーランド、チェコ、オーストリー、フランス、イタリアの各国を鉄道旅行/イタリア・ボルディゲラ国際漫画サロン・テーマ部門「オリンピック」で金賞受賞/「ドンと行けヨーロッパ」(久保書店)上梓/日本漫画家協会創設と共に加入/女性化粧品メーカー「キスミー化粧品」のリップクリーム<用心棒シリーズ>のキャンペーン・ポスターのイラスト担当。

1965年 「漫画集団」同人に加入/日本漫画家協会理事に就任/『週刊F6セブン』(恒文社)の表紙イラストを1966年3月まで担当/「パロディー・ギャング」同人を主宰。メンバーは片岡義男、豊田有恒、伊藤典夫、しとう・きねお、広瀬 正、小鷹信光(中島信也)/なだ・いなだ著「パパのおくりもの」(文藝春秋社)のイラスト担当。大ヒットする。

1966年  パロディー・ギャング名義「これがホントのパズルでござる」(コダマ・プレス)上梓/多湖 輝「頭の体操」(光文社)のイラスト担当。空前のミリオンセラーになる。以後、同シリーズ全巻のイラスト担当。連鎖反応で毎週5誌に懸賞クイズの出題を手掛ける。

1967年  漫画集「キッス専科」(多田ヒロシと共著)コダマ・プレス刊。

1968年  「蒸気機関車」(関沢新一編集・キネマ旬報刊)が「キネマ旬報増刊」から月刊に伴い編集委員として参加。<SLブーム>に火をつける。

1969~‘72年  NHK-TV「楽しいフランス語」のテキスト表紙イラスト担当。

1970年  千代田工科芸術専門学校・漫画&イラスト科常任講師に就任。1997年の閉校まで勤めた。/「キャプテン・フューチャー・シリーズ」(全20巻・早川書房)の表紙・本文イラストを担当。1982年に完結。

1971年 「絵本・鉄道」(主婦と生活社)上梓/「ブラック・ユーモア漫画傑作集」(早川書房)監修。

1972~’78年 NHKラジオ「英会話」テキストの表紙イラスト担当。

1973年  「劇画・USA聖女伝マリリン・モンロー」(テキスト;滝沢 解)が「週刊漫画サンデー」=実業の日本社で連載後、朝日ソノラマ社から上梓。/「フランス語が好きになる本」(三修社)上梓。若者たちが使う日常会話やラブレターの書き方、ケンカの方法、日本食をフランス語でどのように説明するか、ベッドの中で・・・などクダけた内容。後に同社文庫版で6万部のヒットになった。

1972~1986年  1960年代後半の頃から「鉄道模型趣味」誌(機芸出版社)への寄稿が目立つようになり、「水野良太郎の鉄道模型ワールド=鷲津加味鉄道を行く」がレギュラー掲載になっていく。鉄道模型を素材にしたヒトコマ漫画の他に1980年代後半までイラストと写真構成で鉄道模型<持論>を大ブレーク。製作中のジオラマやレイアウトが頻繁にTVバラエティー番組でも紹介される。

1975~1976年  ラジオ関東(現・ラジオ日本)のDJパーソナリティー(スタジオ収録・放送時間22時10分から22時20分の帯番組・月曜~金曜)

1976年 渡仏取材/「そんなにパリへ行きたいか」(三修社)上梓/ジョルジュ・シムノン「メグレ警視シリーズ全50巻」(河出書房)カバー・デザイン及びカバー・イラスト担当(1980年完結)文庫判表紙のイラストも一部、担当した。

1977年   「鉄道模型入門」(廣済堂出版)上梓。当時の趣味書として異例の8万部を記録したベストセラー。車輌模型偏重だった日本の鉄道模型を、総合的視点で紹介。今も読まれている古典。/ブルガリア・ガブロボ市「HOUSE OF HUMOUR AND SATIRE」主催の国際漫画賞受賞1978年    「退屈しのぎの本」(KKベストセラーズ)上梓。1980年に文庫版に入る。

1979年  フランス・ロワール地方で過す。1980年   日本漫画家協会賞・選考委員に就任

1981年    ‘82年度と継続して「読売国際漫画大賞」選考委員に就任

1982年    スイス・バーゼル市漫画美術館<Karikatur&Cartoon Musseum,BASEL>に作品2点収蔵。

1983年   「まんが音楽事典」(松本 覚・前川かずお・浜田貫太郎と共著・音楽の友社)上梓。2012年の廃刊まで17刷;売り上げ総部数3万9千部。
 1984年    ベルギーの保養地クノック=ヘイスト国際漫画展で<日本漫画特集>展を開催。ベルギー文化省と観光局共催で10日間のベルギー・ルポ。同業・牧野圭一を誘ってベルギー各地を歴訪。そのリポート展を帝国ホテル・ロビーで開催/日本旅行作家協会・加入。
 1985年    ‘86年と続いて読売国際漫画大賞の選考委員に就任。

1986年    日本漫画家協会、社団法人昇格に伴い理事及び国際部長に就任。

1987年   「鉄道ファン」(交友社)誌主催オーストリー・スイス・フランス鉄道の旅に参加/’87年度版ベスト・エッセー集「おやじの値段」(文藝春秋社)にエッセー収録/『はーイ、ワープロ』(シャープ広報室&主婦の友社)の企画・編集に参加。

1989年    新宿「アペア画廊」、グループ展参加。

1989 年 新宿「アペア」画廊グループ展参加。産経新聞書評欄イレギュラー執筆/母校・浜松西高へ文化講演/’89年度ベスト・エッセー集「誕生日のアップルパイ」(文藝春秋社)にエッセー収録/日本旅行作家協会のベルギー・ツアーに参加。

1990年 社団法人・日本ペンクラブ入会。

1991年 「漫画文化の内幕」(河出書房)上梓/1992年まで読売国際漫画大賞選考委員/三重県伊賀上野市市制記念切手(62円)イラスト担当/財団法人・四日市国際交流協会設立記念講演

1992年  湯の前町漫画美術館=那須良輔漫画美術館・第一回漫画コンテスト選考委員/1993年度読売国際漫画大賞選考委員。1993年 湯の前町漫画美術館第二回漫画コンテスト選考委員/1994年度読売国   祭漫画大賞選考委員/銀座画廊「銀」でグループ展。

1994年 日本出版美術家連盟に加入/熊本県湯の前町第三回漫画コンテスト選考委員 /大宮市立漫画会館=北沢楽天顕彰記念館主催で個展「ガリバーが笑う」開催。モチーフは鉄道模型。ヒトコマのナンセンス漫画で、専門誌「鉄道模型趣味」に発表した作品のリメイクが中心。(9月3日~10月30日まで)

1995年 1996年度読売国際漫画大賞選考委員/熊本県湯前町漫画美術館主催第四回漫画コンテスト選考委員/埼玉県与野市より浦和・大宮との三市合併政令都市研究委員に任命される/鉄道模型専門誌「RM MODELS」(ネコ・パブリシング)創刊・連載コラム開始/英国の世界的<パロディー・クラシック・オーケストラ>ホフヌング・シンフォニー日本公演でボトル・プレーヤーとして漫画家仲間6名と出演(渋谷・文化村オーチャード・ホール。11月8日)。誘ってくれた仲間にも感謝するが、元々、このパロディー音楽演奏家だったジェラルド・ホフヌングは英国の伝統的週刊誌「PUNCH」にナンセンス漫画を寄稿して世界的に知られた存在。彼の漫画アルバムは全て所蔵していたから感動もひとしお。ジェラルドは病死したが、家族が「冗談音楽一座」を結成して世界公演を行っている。LP、CD共市販された。

1996年    埼玉県与野市主催「未来の都市づくりをイメージする」シンポジュームで基調講演/英字紙「The Daily Yomiuri」4月1日付けより漫画コラム「ONOMATO-PERA-PERA」を毎月1回掲載の連載開始/読売国際漫画大賞選考委員/湯前町漫画美術館第五回漫画コンテスト選考委員/毎日新聞ニューメディア局インターネット・ホームページ「Jam-Jam」と作品提供契約/湯前町漫画美術館主催の個展開催(10月18日~11月24日)/「漫画集団」主催・漫画家による染付け大皿競作展・協賛=丸善・セラミック・ジャパン(日本橋・丸善、京都・丸善、岡山・丸善、名古屋・丸善で展示即売)に参加/社団法人・日本漫画家協会退会。

1997年「漫画集団」主催「まねき猫」絵付け展(日本橋・東急百貨店)に参加/「13カ国・いうたらあかんディクショナリー」(開高健編集・フランス語担当・講談社α文庫)/埼玉県上尾市立図書館主催「漫画の現状と未来」の文化講演/「絵本学会」入会/湯の前町漫画美術館主催第六回漫画コンテスト選考委員/岡山路面電車サミットでゲスト・パネラー/日本橋東急百貨店開催「日本鉄道模型ショー」のトーク・ショーでゲスト出演/ADEC色彩士検定委員に就任/鉄道模型専門誌「RM MODELS」(ネコ・パブリッシング)に隔月連載のコラム開始/「日本鉄道写真作家協会」会友(2002年退会)

1997年    熊本県湯前町漫画美術館主催第七回漫画コンテスト選考委員/仙台市・  

1998年    仙台高速市電研究会サミット基調講演/埼玉県青年商工会議所主催「21世紀都市ジェンダー」基調講演(与野市)/「21世紀都市交通国民会議創設に参加。

1999年    練馬区東大泉デイケアー・センターで油絵教室のボランティア講師/ LRTのPR用BOOKLET「路面電車の大逆襲!」(21世紀都市交通国民会議編・水曜社刊)草稿担当/読売国際漫画大賞選考委員/第九回湯前町漫画美術館主催漫画コンテスト選考委員/NHKハイビジョンTV「この素晴らしきモノたち」鉄道模型特集・55分間のメイン・コメンテーター出演(5月30日放送)中部日本放送・CBCラジオ・多田しげおの気分爽快に、路面電車に関する電話コメント生出演(6月12日)/路面電車サミット’99・豊橋に参加/「路面電車の基礎知識」(共著・イカロス出版)/「日本鉄道写真作家協会」イベントのトーク・ショーにゲスト出演/11月3日・CS-TV「朝日スターチャンネル」で「路面電車の大逆襲」の販促キャンペーン出演/「たけしのTVタックル」・漫画善悪論に<悪玉>の立場で出演(11月15日)/熊本県湯前町漫画美術館主催の第九回漫画コンテスト選考委員。

2000 年「国際交流」(国際交流基金・季刊誌)2000年86号に「アジアの漫画を賞味する楽しさ」寄稿/第一回国際鉄道模型コンベンション」(日本鉄道模型の会=Japan Association of Model Railroader=JAM)のパネラーとして基調講演/読売国際漫画大賞選考委員/熊本県湯前町漫画美実間主催第九回漫画コンテスト選考員/「鉄道模型の愉しみ」(2分冊・東京書籍)上梓)が、日本写真作家協会・選定図書・特別賞受賞。
2001年「鉄道ダイヤ情報」(弘済出版社)の増刊「鉄道模型ロコ・プレス」創刊号制作に参加、1号で倒産。/「The Best Cartoon of NIPPON ‘98」(国際漫画フェスティバル・イン・大宮)に掲載された作品が、世界的漫画原画コレクターとして知られるTRIUMPH INTERNATIONAL JAPAN のオーナー、Mrs.Karin Spiesshaufer コレクションに加えられる/「Jam・日本鉄道模型の会主催・第二回国際鉄道模型コンベンションのクリニック部門で少年時代からの旧友・京都産業大学経済学部ロマノ・ブルピッタ教授を招いてニッチ産業の将来について鼎談/湯前町漫画美術館主催の第十回漫画コンテスト選考委員及び、<生涯選考委員長>横山隆一氏が急逝のため、その後任委員長に任命される。

2002年    朝日新聞事業部と「漫画集団」共催の<孤島漫画>展に参加/2000年度
読売新聞広告大賞で電通と手がけた新聞広告「旭化成ヘーベルハウス」=イラスト担当が住宅部門で最優秀賞受賞/月刊「音楽の友」に連載中のコラム・イラストが10年を迎えた/[JAM=日本鉄道模型の会]がNPO法人化に伴い理事に就任/さいたま市ユーモアセンター準備委員会に原画1点買い上げ収蔵される/「西山台に立つ」(浜松西高同窓会編集・静岡新聞社・刊)に、<趣味で生きる>ライフスタイルが紹介される/NPO法人「日本鉄道模型の会」(JAM)のPR冊子「さあ、鉄道模型の旅へ」のイラスト担当。

2003年    熊本県湯前町漫画美術館主催第十一回漫画コンテスト選考委員を隔年で担当/ADEC色彩検定諮問委員就任/「全国路面電車ネットワーク」に参加/豊島区「池袋の路面電車とまちづくりの会」専門委員就任。

2004年    第26回読売国際漫画大賞選考委員/「絵本学会」退会/順天堂大学付属病院整形外科で「強直性脊椎骨増殖症」の診断。身障第4級認

2005年    第27回読売国際漫画大賞選考委員就任/第14回湯前町漫画コンテスト選考委員/「JAM」理事退任・退会/順天堂大学付属病院脳神経内科で「パーキンソン病」重度2と診断。難病指定患者に認定。

2006年    ムック「Spectator」(幻冬社・15号)からロング・インタビュー/漫画専門誌「EYEMASK」(蒼天社・32号)で特集。

2007年    「ムック・団塊パンチ」(4号・飛鳥新社)に「500円DVDガイド」寄稿/仙台高速市電研究会主催イベント展に描きおろしのイラスト5点出展/関水金属=KATO本社ギャラリーで展示されているHOの小型エンドレス・レイアウトが「絢香・why」のデモDVD&CDのイメージ映像に使用される。

2008年    パーキンソン病重度3と診断/小説誌「すばる」からSF作家・広瀬正に関する取材を受ける/「SFマガジン」コラムニスト大橋博之からSFイラストに関する取材。「SFマガジン」に掲載後、2012年に「SF挿絵画家の時代」として本の雑誌社より一冊にまとめて刊行。

2009年    熊本県湯前町漫画美術館主催湯前漫画コンテストの選考委員を辞退。

2010年    「The Daily Yomiuri」に連載中の漫画コラム「onomato-pera-pera」4月1日付けでカラー印刷になる/産経新聞の取材でパーキンソン病であることを公表/全国の「キャプテン・フューチャー・ファン」の集いである「キャプテン・フューチャー・コン新宿」にトーク・ショー出演とイラスト原画及びコピー・イラストを販売/「RM MODELS」誌創刊200号にメッセージを送る/デジタル・カメラで撮った新しい鉄道模型入門書上梓企画は体調不都合でペンディング。

2011年    誠文堂新光社のデザイン専門誌「アイデア」355号・2012年11月号の特集・フィフティーズ・リヴァイヴァルのコメント取材を受ける。

2013年     PCに「ホームページ」開設(Ryot.MIZNO Web Mgazine)満77歳。
 

    2014年 久々に新刊書「オノマトペラペラ マンガで日本語の擬音語・擬態語」東京堂出版から
    上梓。好調。図書館購入選定図書に指定。
    言語に関する冊子では「フランス語が好きになる本」(三修社)、「いうたらアカン ディクショ
    ナリー」[開高健編集・フランス語部門を担 当・講談社学術文庫]以来。

      

2015年 日本ペンクラブ 退会 

「オノマトペラペラ マンガで日本語の擬音語・擬態語」東京堂出版 、好調で三版を重ねる。

「EYEMASK」70号 (蒼天社)巻頭にデビュー作品「アングリ君」およびエッセー「ボクが70年の間に描いたのは」の下書き原稿寄稿。

 

順天堂練馬分院の担当医に「80代のパーキンソン病は専門医にとっても未知の世界。これまでパーキンソンは60代で一生を終えた。水野さんは未知の分野の先頭集団を飛び続ける存在」だといわれた。

(2015年7月8日現在)